マッケンジー・ソープ | 江夏画廊WEBサイト

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世界的画家

マッケンジー・ソープ Mackenzie Thorpe


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charm_1.jpg「シークレットガーデン」


マッケンジー・ソープの絵画・・・一見風変わりなこの画家の絵が、現在世界中の多くの国でとても人気を呼んでいます。charm_2.jpg「金魚とお散歩」制作したエディションの中には1日で完売してしまうほどの作品もあり、一体なぜここまでソープの人気が高まっているのかをご紹介させていただきます。作品・作家ストーリー等に多くの魅力を持つこの画家をぜひ知ってください。



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charm1_1.jpg「3つのハート」


まんまる頭のぼうやにかわいい動物たち。これらのモチーフはソープの絵にひんぱんに使われます。「希望・愛・喜び」を謳う暖かい絵の数々。無垢で愛らしい彼の作品は多くの人を魅了して止みません。


同時に彼は色彩の魔術師でもあります。鮮やかな赤、美しい青、その他多くの色使いが絶妙です。彼の作品の購入者にはこの「色」に魅せられた人も多いようです。色使いの力強さには見る人に強烈な印象を残します。charm1_2.jpg「ブチとテレビ」


charm1_3.jpg「森の中で」


ソープの作品は愛らしい絵ばかりではありません。自身の苦難の歴史を物語るような深みのある作品もあり、はじけるような明るさや楽しさを謳う絵ばかりではない、2面性を持つかのようなギャップがまた人気のヒミツなのかもしれません。


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charm2_2.jpg「シカゴトリビューン紙で大きく取り上げられる」


ソープは小さい頃から難読症という読み書きが十分にできない障害を持っていました。学校の試験では座っていることすらできず、学校の生徒はおろか先生からもと語るほど迫害も受けていました。
15歳の頃には唯一見つけた仕事で造船所の作業員をはじめますが、あまりにも暗い船底を1日中磨く作業は長く続かず、結局彼は解雇というかたちで職を失います。そして難読症のせいで何の資格も取れませんでした。

しかしそんな不幸のどん底の時に、彼の友人がソープに美術学校へ行くよう薦めました。彼をいじめから守ってくれた叔父の協力もあり、ソープはそこで芸術の道を歩きはじめたのです。成功までの道のりは長くかかりましたが、そのドラマチックな経緯は多くの人々を感動させ、彼の画集自叙伝「From the Heart」も出版され、大変好評でした。charm2_1.jpgマッケンジー・ソープ自叙伝『From the Heart』


結果的にソープは世界各国数百にも及ぶギャラリーに作品を求められるようになり、貧乏で絵を描く画用紙すら買えなかった頃、タバコの箱を広げてまでも絵を描き続けたこの画家は、その夢をどんどん膨らませ続けています。





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charm3_1.jpg「Hope, Love, Joy」


ソープの描くモチーフたちは特別な意味を持ちます。
頭の大きな子供達、四角い動物、花、虫、建物・・・・・それぞれにです。ソープの絵に込められたメッセージが作品をより魅力的なものにしています。

絵画に言葉が加わると、その絵がより活き活きとしてきます。彼が伝えたいものは「希望・愛・喜び」であり、そのテーマは作品から伝わってきます。charm3_2.jpg愛をはこぶ人

たとえば四角い動物は家族の愛や親近感、顔の描かれないダッフルコートの子供は孤独からの希望や思いやりなどを表しています。


詳しくは「モチーフ」のタブページでご覧いただけます。





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s-charm4.jpgエルトン・ジョン「エイズ基金」テーマ
『ライフ』


ソープは2000年にイギリスの1700の美術業者が参加するファインアート貿易組合より、ベストセラーアーティストとして選ばれ、その人気を不動のものとしています。

ファンは世界中でたくさんいますが、著名人の中にもソープのファンが大勢います。イギリスのアン王女、イギリス保守党元党首ウィリアム・ヘイグ、音楽家のエルトン・ジョン、マドンナ、元ローリングストーンズのビル・ワイマン、テニスプレーヤーのアンドレ・アガシ等、その人気はどんどん飛び火しています。

エルトン・ジョンは彼の主催する「エイズ基金」のカードデザイン、アン王女も彼女の主催する「子供達を救え基金」のイメージ、アンドレ・アガシは「アンドレ・アガシのグランドスラム(子供たちのための募金イベント)」にソープの作品を選んでいます。



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charm5.jpg「プレゼント」2001年、マッケンジー・ソープは「デスティニーツアー」を開始しました。イギリスのバーミンガム美術館のセレモニーを皮切りに世界各国を巡ることになっています。18ヶ月にわたるこの長いイベントで、マッケンジー・ソープは多くの障害者施設に立ち寄って子供達に彼の話をすることになっています。

ソープは彼の展示会を助けてくれている子供達のボランティアと一緒に活動し、そして自らの体験である“逆境を乗り越えた大成功”を彼らに伝えます。子供達は、ソープが経験してきた難読症と経済的貧困を自分の境遇と重ね合わせ、ソープの成功を彼ら自身の逆境に打ち勝つ希望として見ることができるのです。

過去に厭なことはたくさんあったと語るソープ。しかし今、自分はこうしてここに存在し、生きているということを強く意識し、「希望は必ずあり努力すれば必ず幸せになる」という彼の想いが作品にあらわれています。

●最近のチャリティー及び寄付、芸術振興活動をしている主な団体
 ・ サンフランシスコ自殺防止協会
 ・ カナダ・モントレー・チャートウェルスクール
 ・ シカゴ子供たちのための記念病院
 ・ ジャクソンヴィル・グリーンウッドスクール
 ・ イギリスのNSPCC(子供の貧困を防ぐ英国国際組織)、
 ・ NY世界貿易センタービルテロで親を亡くした子供の奨学金制度

現在までこれらの組織のために10万ドルもの資金がソープの展示会によって集められました

モチーフ

マッケンジー・ソープ Mackenzie Thorpe

作品に隠されたメッセージ ― 各モチーフの意味 ―


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見たままを描くよりも、内面の個性を表現したいと思っています。
たとえば、微笑んでいるキリンを大きく描いたり、たてがみを風になびかせた馬を描いたりして、動物の内面を表現しています。






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ひまわりはヴァン・ゴッホへの賛辞です。ゴッホの人生と画業を描いた映画、「炎の人ゴッホ」を初めて見たとき、彼と同じようにどんな困難にもめげずに描きたいと強く感じました。自分が、造船所で働くために生まれたのではなく、人生の真実を描くために生まれたのだと気づきました。









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朝、目が覚めて、なんとなく気が重いときがあります。そんな時、台所へ行くと私のかわいい娘、クロエがそこにいるのです。娘は、おしゃべりしたり、笑ったり、うわさ話をしたり、ヘアスタイルや学校に文句を言ったりしています。娘がいつも肩を抱いてくれてありがたいと思っています。オーエンは今では、私よりも背が高くなりました。彼は自慢の愉快な息子です。息子は喧嘩はしませんし、盗みをしたり、問題を起こしたりした事もありません。とにかくいい子なのです。多少気が塞いでいるときは、いつもこの二人のことを考えて、外を眺めながら全てが順調に行っていると思うだけでよいのです。多くの作品にオーエンとクロエという名前が出ていますが、子供達が与えてくれる暖かい気持ちが主題となっています。



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私は自分の服は自分で洗うタイプの男です。アイロンをかけて、料理をし、掃除をし、それから仕事に出かけるのです。この事は私にとっては少しも問題ではありません。私は清潔な衣服や食事が必要だからしているだけで、難しい仕事ではないのです。責任は分担したいと思っていますし、正しく公平な人間でありたいと思っています。又、「人間はこうあるべき」或いは「こうあるべきでない」と他人が決めることに左右されずに生きたいと思っています。私にとって、羊飼い(導く者)とは、単なる人間でなく総合的な人格です。羊飼いは荒野を歩きとおし、山の頂上に立ちます。彼は、自分の群れの世話をするために、自らは食事も摂らず雨やどりをする場所もないままで済ませます。私は子供を見守り、家族の世話をし、彼らを保護し、愛し、導き育てる人間になりたいのです。私は家族の安全と幸福を守る為にはどんなことでもするつもりです。



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最初に蜂を描いた時は、思わず“ブンブン”と絵に音まで描きこんでしまおうかと思いました。その音も蜂の命の一部なのですから。たくさん、蜂を描き始めた頃、一匹の蜂に腕を刺されて、腕を曲げられない程大きく腫れてしまいました。
もし喉か頭でも刺されていたら、気道が腫れて息ができなくなり死んでいたかもしれません。この小さい蜂は私の命取りとなったかもしれないのです。この経験は、人生において些細なものにも気を配り、日々感謝するというきっかけになりました。




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子供達は愛の源です。子供は、私達の足元に愛を芽生えさせ、その愛を育んでくれます。









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私達はみな平等だというのがこの発想の根底にあります。私達は成長するにしたがって、自分や子供達の行動を制限してしまいます。本来、人間は何を恐れることなく、何を拒絶することなく生まれたのです。
私達は新しい冒険、新しい食物、新しい経験で恐れを知ったがために、自ら世の中を小さくしているのです。
恐れと は、全て自らが作り出すもので、現実に存在するものではありません。しかし、私達は、新しいことへの喜びを歓迎し分かち合うのではなく、恐れの中に閉じこもってしまいます。私にとって、大きな頭とは子供達を象徴しています。まっさらで、汚れの無い、無限の可能性でいっぱいの心であり、目の前に何が立ちはだかろうと恐れる事はないのです。私達は、大人になるにつれて、狭く閉じた心を持つようになってしまいます。できるだけ広い心を持ちませんか? 自然の美に驚嘆し、花の香りを楽しみ、生きている事を神に感謝しましょう。



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時として子供を描くとき、顔を描かないことがあります。頑丈でシンプルな布地のコートと丈夫な靴。時には影も描かない位、何も持っていない子供を表現することもあります。花も木もないところにひとりぼっちの子供。そこに、少し色を加える事で、作品の中に希望を表現しています。だって、もしあなたが、この子供をよんで、お風呂に入れ、夕食をあげて、一緒に過ごしたとしたら、すぐにその子供はその子らしくなるでしょう。にっこりと笑って、ゲームをしながらいろいろ話すようになるでしょう。やがて警戒心も消え、あなたを信じようになり、その子がもつ愛と思いやりに気づくでしょう。



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私の作品にはもう仕事のない労働者が登場します。私の町では、もう造船業は成り立たなくなり、鉄鋼業も撤退してしまい、彼らは現在失業しています。この貴重な歴史を私はキャンバスに描いています。私は彼らが働いていた時代の情熱を捉えたいのです。溶ける金属、ハンマーの音。男達にはプライドがありました。生活は苦しくても、一生懸命働き、評価され、目的意識を持っていました。それなのに、もう20年以上も仕事がなく、自分の強さや腕を試す機会もなく頭を垂れている。男に腕を描かないこともありますが、これは必要がないからなのです。悲劇的で残酷な話です。彼らは働きたがっているのに、仕事がないのです。



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心のもろさはガラス鉢の中の魚に似ています。あなたはそれを常に守り、育み、気にかけていなければなりません。あなたの心がいったん瓶から抜け出してしまうと、いかに危険にさらされて弱くなるかわかるでしょう。






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大きい足とは、人生がどんなに思い通りにいかなくても、自分が何者なのかをけっして忘れないという事を象徴しています。自分が何なのかを見失うことは危険です。エゴに支配され舞い上がってゆきます。もし、私が自分の事ばかりの人間だったら、スーザンが私を好きになって結婚する事はなかったでしょうし、子供達の父となることもなかったでしょう。私の足はしっかりと自らが望む地面に根付いています。自分をわきまえる事は大切な事です。







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私が芸術家として生きていこうと決めた時を含め、今までの人生で多くの転機がありました。私の家族は私と一緒にこうした新しい経験をし、一緒に崖から見下ろして、すべてが問題なくうまく行くという事を見届けるのです。










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初期の作品では、めったに橋を描きませんでした。そして、ある時、煙突や煙を描いた工場の場面に忽然と現れるようになりました。橋とは、障害を超えて進む道を見つけ、未知の環境に飛び込み、新しい挑戦を試みるという事を象徴しているように思います。或いは、前進し一箇所から次の場所への移り変わりを指しているのかもしれません。これこそ、人生で私が経験している事ではないかと思っています。



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どの雲も「もがき」であり、どの波雲も「困難」ではありますが、同時にどんな時にも雲の間からは光がこぼれます。人生で、差し込む光に感謝するようになるには、雲も光も経験する事が必要なのです。







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例えば、子供が鉛筆で上手に絵が描けたとします。でも、そこで、その子が空を緑に塗り、木を紫に塗ると、先生に「違うわよ。絵がだいなしになっちゃったわね。」などと言われます。そこで、子供は色を恐れるようになっていきます。私は、最初から色で形を描いてしまいます。する
と、自分の深層心理まで入り込んで探ることができます。ちょうど3歳の幼稚園児がするのと同じように。ポン、ポン、ポンと描いてハイ、終わり。「それは何?」と聞くと、「うん、私の家。あれがおとうさん、仕事から帰ってきたの。あれは、庭のわんちゃんブランコ。」子供達の世界はそこにあるのです、色の中に。悲しいことに、年をとると、もうそのように描けなくなってしまいます。私は、色を使って描くことによって、「間違い」という言葉が存在しない、気持ちや感情で絵を描いていたあの頃へ戻るのです。




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花は「愛」のシンボルです。私にとって、「愛」はどんな物とも比べようもないくらい一番大切なものです。世界中の財宝も、私が家族と分かち合う「愛」とは比べものになりません。かよわい花のように、意図的にあるいは不注意から愛は容易に壊れてしまいます。でも、熱い砂漠でも、高い山の中でも、花は生きる方法を見つけます。あなたが種を覆ってしまっても、花は生き残る方法を見い出すでしょう。鉢に入れて、太陽の光と水がたっぷりの場所に置いてあげれば、成長し、花をつけ、やがてどんどんたくさんの花が咲くことになるでしょう。



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四角い羊を描きはじめた当時は、社会の新しいことや変わったことに対する偏見、狭い心を象徴していました。しかし、生死をさまようような自動車事故に遭った後、羊は別の意味を持つようになりました。私の妻や子供たちです。今、私に最も大きな影響を与えているのは家族であり、私は全身全霊でもって家族を愛しています。ですから、今は、大きな四角い動物は、自分たちの特権、愛や親近感を表しています。世界の果てにまで広がるくらいの、私達のお互いを思う気持ちが、四角い動物となって、キャンバスいっぱいに広がっているのです。

記 事

海外記事


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今売れっ子のマッケンジー・ソープは、「普通の人」が自分のターゲットだと言う。にもかかわらず、エルトン・ジョン、ビル・ワイマン(元ローリングストーン)、アン王妃といったセレブリティが、彼の作品に飛びついている。だが、「べつに僕にとっては普通の人ですよ。」と、サウサリトのハンソン・ギャラリーにて開催された個展のオープニングで彼は言った。

49点のソープの作品が展示された、お金持ちの顧客が多い画廊での発言となれば、もしかしたらうぬぼれているように聞こえるかもしれない。しかし、訛りの強い英語で、七人兄弟の長男に生まれ、ミドルズボローの工業地域で育った貧乏時代、ディスレクシア(読み書き困難な症状)との闘い、造船所から解雇された時の失望と自殺未遂などを話すこの画家には、うぬぼれなど微塵も感じられなかった。

「自分なんてどうでもいい存在で、死んだ方がマシだと思った。」現在42歳、最近、制作が追いつかないほどの大ヒットをおこしたソープは言う。ある画廊が、ヨークシャーで画材店を営んでいた彼に声をかけたのは5年前だった。「画材を買うお客さんがいなかったから、描く時間がたっぷりあった。ある日1枚の絵が売れて、そして5枚が売れて、今や店が画廊になってしまったのです。」

ヨークシャーの小さなアトリエで制作されたパステル作品は、一見子供の絵のようにみえる。美術界では風変わりと呼ばれる、この奇妙なデッサンと突飛さが、遊び心あふれる彼のスタイルを確立させ、ソープのファンにはたまらないものとなっている。

彼は、よく映画制作者のような感覚になるという。「例えば、バス停に立っている男の人を見たとき、あたかもカメラを構えて彼を下から撮るような構図を思い浮かべたりするのです。」自分が何を描くのか、実際に描いてみるまで自分でもわからない、という即興的なアプローチが新鮮さにつながっているのだろう。

ブチの犬を連れた大きな黄色い頭の男の子を描いた作品。幼稚園児が描くような絵のように見えることを、ソープ自身も否定はしない。だが、それは彼の考えを表している。「みんな生まれるときは大きな頭をしているのに、成長するにつれ、○○してはだめという否定的な観念で世界が小さくなっていってしまう。だから、本来の心を忘れていない人を描いたのです。」

また、別の作品では、顔のないロングコートを着た造船所の労働者を描いている。差し迫った雰囲気、しいたげられている様子。「これは昔一緒に働いていた連中です。人種差別、女性差別、偏見のかたまりで、毎日20杯もビールを飲みまくっていました。お日様を見ることなく、一日中船底で作業を繰り返して、一日が終わる・・・。そんな彼らがある日突然雪におおわれた世界に遭遇する。『ざけんな、くそやろう』と罵っても、それは子供のように純粋に驚いている表現なのです。そんな一瞬、彼らの中の子供心が見えたりします。」

ソープは、よく、埃まみれの労働者階級の生活を作品にほのめかす。彼自身が一番よく知っている生活である。子供たちや老人、動物、曇り空の下の羊飼いと羊の群れなども頻繁な主題である。「僕の描く動物は人間です。例えば登場する羊飼いと羊たちは、父親と子供たちを意味していたりします。」
数年前までは、彼の描く羊は四角くて、彼を悩ませていた偏見を意味していたのだが、最近描く羊は少しソフトな輪郭となり、家族への愛を意味するようになっている。

ソープは、元看護婦のスーザンと結婚し、現在彼女が画廊経営の手伝いをしている。14歳と16歳の子供もいる。初めての大きな展示会で作品売切れの成功を収めた時、そのお金で彼はフロリダのディズニー・ワールドへ家族旅行をした。「飛行機のチケットを買った時は震えました。」大きな家に移ろうとか高級車を買おうとか考えもせず、自分の子供たちが自分ほど貧乏な暮らしをしなくて済むとわかったのが嬉しかったと言う。

ディスレクシアという文字の読み書き困難は確かに苦しみのもととなったが、それは同時に、彼の画家としての人生を形作った。「絵を描くことは私の唯一の自由でした。鉛筆で煙草の空き箱に描いていた昔と、画廊の今との違いはあるけれど、人生これまでずっと絵を描いてきました。」

「私の作品は、画廊へなんて入ったこともない人々も振り向かせます。ある日、一人の男性が入ってきました。彼はぐるりと見回すと私に向かってこう言いました。『よお。俺はくだらねえ溶接工だよ』と。そこで私もこう言いました。『よお、俺はくだらねえ画家だよ』と。その人が何かを持っているか、持ってきたかどうかなんて関係ないのです。」





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■ イギリスのトップ・アーティストが自らの苦しい体験を通して、
子供達に訴える。夢見ること、そして描くことを。

カリフォルニア州シーサイド––––マッケンジー・ソープの青年時代はいかなる人生の希望も成功の見込みも無さそうだった。10代としては余りに将来が絶望的だったので、薬物の過剰摂取で自殺しようとさえした。

だが、不屈の魂のお蔭で、この英国人アーティストは、アートの世界で非凡な存在となった。ひどい学習障害、不毛の子供時代、ほとんど何も才能を磨いてくれるものも無かったにも拘らず。

この44歳の芸術家は、最近シーサイドのチャートウェル・スクールでクラスの生徒たちに語っている。「僕に出来ることは、描くことだけだった。そして(誰もが思っていたけど)描くことは何の役にも立たないことだった。」

ブルージーンズに真新しい白のTシャツを着た白髪混じりのソープは、少年達に描き続けること、決して夢を諦めないことを力説する。その時、瞳はきらきらと輝く。己の耐えている診断未確定の難読症による、肉体的且つ精神的な痛みを少年達に隠さない。

ソープ――彼の作品は、現在世界中の何百というギャラリーに収められ、近年では英国の ベストセラー・アーティストとして認められている。 彼の芸術に対して反響を寄せるのは、エルトン・ジョンやアン王女のような有名なコレクターにだけに留まらない。一般の人々も、ソープの風変わりな作品、どこか子供っぽさのある印象の中に、希望や闘いを見る。

ソープの非凡な人生それ自体が、チャートウェル・スクールの少年達にとってひとつの教訓だった。この学校は、学習障害があったり、その恐れがある生徒のためのものである。多少の美術を学んだり、しかるべき方法にのっとって、絵画が何を象徴しているかを学習するのだ。

「僕は、何かを元に戻すのが好きなんですよ。」とソープは語る。彼は、はっきりものを言う。「僕はちょっとカリフォルニアに来たという訳ではありません。お金を稼いで、故郷に戻ります。」

チャートウェル・スクールは、北ヨークシャーの我が家に帰る前の最終地点だった。ソープは、カリフォルニア中を慌しく旅した。サンフランシスコ自殺防止センターや、シーサイドのマンザニータ・スクールのコミュニティー・パートナーシップで働きながら・・・それに、カーメルのハンソン・ギャラリーで彼の歓迎レセプションに出席したりもした。彼は妻とティーン・エイジャーのふたりの子供達 のところへ戻ることを切望していた。

だが、子供達を救うこと(どういう方法であろうと、場所がどこであろうと)は自分の責任だと感じている。

■深刻な障害

その責任は、チャートウェル・スクールで果たした。生徒達に、自分の少年時代や克服せねばならなかった辛い障害を語ることで。
「僕は、試験で座っていられなかったんだ。 かろうじて読み書きが出来るだけだった。」と、ソープは言う。「先生達は、毎日僕を叩きのめした。向こうはぶつ、こっちはモラす。ほんとに恐怖でした。」

ソープに出来たのは、描くことだけだった。だが、誰もそれを評価してくれなかった。励ましてくれた唯一の身内は、叔父だけだった。この叔父は、ソープをいじめから守ってもくれた。

子供のときは、いつも絵を描いて過ごし、普通の紙に描くという贅沢をするお金が無い時は、煙草の箱の紙にすら描いた。

15歳の時、唯一見つけた仕事である造船所の作業員を始めた。しかし、この仕事は続かなかった。自殺を図ったのは、17歳の時だった。

ある友人が美術学校に行くことを勧めたのは、この混乱と絶望の時期のことである。が、それはまるで、月に行くのと同じようなものだった。.

ソープは、「僕の入学願書は、酷い代物でした。綴りは全部間違っているし、小論文が書けないことは明々白々で。」と、間もなく出版される著書『フロム・ザ・ハート(心をこめて)』で書いている。 「でも、ものすごい数の絵を、正確に描いたんです。」

■才能は障害に勝る

ソープの真価は、地方の美術学校(数年をそこで過ごしたのだが)そして、ロンドンのバイアム・ショー・スクールで認められる。

美術学校で新たな自信がつき、可能性の世界に目覚めたが、この手の成功には長らく縁が無かった。彼は、画材屋が開いている間は描きに描いた。10年程前、作品のひとつが25ポンドで売れた。そして、また少し売れた。更にまた、少し。現在、彼の作品のひとつには、25,000ドルの値がついている。

ソープは言う。「ここに来るまで、44年かかりました。僕がすることを支持してくれる人が出来たというところまで来るのに。」

「僕は、あらゆることが可能だということを証明する、生き証人です。」

しかし、彼は生徒達に言う。それは、たゆまぬ努力と夢を追い続ける情熱.がもたらすものだと。ソープは、とにかく描き続けろと力説する。彼にとっては、ローレンス叔父さんのような人達が、希望と絶望の違いを知る手助けをしてくれるのだ。.

ローレンス叔父(当時、身内の中で唯一仕事を持っていたのだが)は、ソープが美術学校に通うのに必要な物を買ってくれた。費用はおよそ20ドル。ソープにとって、それは世界だった。

「子供たちは皆、自分を受け入れてくれる人を必要としています。」と、ソープは言う。「犬でさえそうです。自分の人生に関わってくれる誰かが必要なんです。」



日本記事



s-週刊朝日グラビア(2003年10月3日号).jpg週刊朝日グラビア(2003年10月3日号)


s-ミセス(2003年10月号).jpgミセス(2003年10月号)


s-朝日新聞朝刊2004年12月6日.jpg朝日新聞朝刊(2004年12月6日)


s-読売新聞(2005年10月3日2面記事).jpg読売新聞(2005年10月3日2面)


s-産経新聞11.15.jpg産経新聞(2008年11月15日)






s-taidan_lahm.jpg暮らしと健康対談(2007年3月号)





























↓暮らしと健康の対談データは以下から全文をPDFデータでお読みいただくことができます。
こちらからダウンロードLinkIcon



活 動


※国内外の活動の一部をご紹介させていただきます。

海 外



Destiny001.jpgバッキンガムミュージアム(2001年)


Destiny002.jpgデスティニーツアー(2001年)


kansas2006.jpg奥様のスーザンさんと(ミズーリ州2006年)


kansas2006_04.jpgミズーリ州立公園の大型彫刻設置イベント


kansas2006_03.jpg大型彫刻設置「なわとび」


kansas2006_02.jpgクロスロードイベント


Sydneyshow.jpgシドニーツアー


NYpop2007.jpgNYポップギャラリーにて(2007年)


Perth Telethon 13.jpgオーストラリア(テレソンプログラム)公開録画


Lean on Love 4.jpg彫刻制作風景


国 内



ookura2003.jpgホテルオークラ東京(2003年初来日)


newgrand2003.jpg横浜ホテルニューグランド


bunkamura2004.jpgBunkamura Gallery 2004


palace2005.jpgパレスホテル2005年来日展


embassy2006.jpg在日英国大使館レセプション(2006年)



kumamoto2008.jpg熊本県立美術館(2008年)


fukuoka2008.jpg福岡県立美術館(2008年)


gakken2008.jpg学研シンポジウム(2008年)


okura2008.jpgホテルオークラ東京来日展(2008年)


ge2008.jpg版画のサイン入れ


ldgakkai2008.jpgLD学会のプログラム表紙イメージ


ワークショップ


chiba2007.jpg千葉黎明学園ワークショップ


Perth Telethon 19.jpgテレソン 彫刻ワークショップ


sinajyo2003.jpg品川女学院ワークショップ


aborigini_ws.jpgアボリジニの子どもたちとのワークショップ


gakkenws.jpg学研彫刻ペイントワークショップ(2008年)


作 品

※準備中です

プロフィール


マッケンジー・ソープ Mackenzie Thorpe


プロフィール


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1956年、イギリス、ノースヨークシャーのミドルスブローに生まれる。

【教育】
ミドルスブロー美術大学卒業(ノースヨークシャー、ミドルスブロー)
バイアム・ショー美術学校卒業(ロンドン)

【活動履歴】
1995年 アラートン・キャッスル展 ― イギリス北部で最大規模の個展
1995年 ヨーロッパ市場向けにシルクスクリーンの制作を依頼される
1996年 L.A.アートエキスポのポスターやカタログ表紙の公式作家に選定
1996年 世界市場向けにシルクスクリーンの制作を依頼される
1996年 「エルトン・ジョン エイズ基金」のためのカードデザイン
1997年 妃殿下プリンセス・アンによる「子供達を救え基金」への協力
1997年 英国ディスレクシア財団のためのカードデザイン
1998年 イギリス保守党党首、ウィリアム・ヘイグのカードデザイン
2000年 イギリスの美術業者1700社が参加する美術ギルドより、ベストセラー・
      アーティストに選ばれる
2001年 子供達の基金創設を目指した巡回展、デスティニー・ツアーを開始
      イギリスのバーミンガム美術館の公式セレモニーからスタートする
2002年 アンドレ・アガシの主催する子供達のための募金イベントに協力
2003年 初来日しホテルオークラ、明治記念館等でチャリティー個展を開催
2004年 東京渋谷のBunkamura Gallery で来日個展を行う。愛をはこぶ人
      キャンペーンに参加
2005年 パレスホテル東京にて来日展。NHK教育番組「福祉ネットワーク」
      でドキュメンタリー番組が放送される
2006年 米国ミズーリ州カンザス市において、「A CROSSROAD」イベントを行い
      大型彫刻を発表
      ホテルオークラにて来日絵画展を開催
2007年 福岡、熊本の県立美術館ならびに鹿児島市立美術館にて新作原画を展示
2008年 学習研究社にて大型彫刻「ライフ」のペイントワークショップを開催

日本の皆さまへ

私は、アートの世界で生き、そして自分の夢を叶えられるとは思ってもいませんでした。しかし予想に反し、そのアートを通してたくさんの経験をしています。生活は変わり、アーティストとしての能力を伸ばすことができ、なおかつ視野を広げることができました。

私の作品たちは世界中にあるたくさんの素晴らしいギャラリーで展示されています。そして、私自身も私の好奇心を満たすべく多くのエキサイティングな場所に行くことができました。何よりも、絵を描くことでたくさんの素晴らしい人々に出会えたことがうれしく、これらすべての経験が私の生活と制作活動の基盤となっています。
私はギャルリー江夏によって、日本のみなさんに紹介していただけることをとても誇りに思っています。そして、あなたがたの素晴らしい国に招かれるということは大きな名誉です。私は最初に、日本の国の美しさを愛で、文化を味わい、さらに触れて感じて行きたいと思っています。

そして何よりもみなさんにお会いできるのをとても楽しみにしています。

日本に降り立ち
その土地に触れ
日本に吹く風を感じたい

そして夢であった今のこの現実の中で
私は誇りを持ってここにいます


LOVE MACKENZIE

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